食と食卓 · フランス

名物ブイヤベースに、料理人が憲章を作った理由

南フランス、地中海に面したマルセイユ。旧港を見渡すと、細長い水面の両側に建物が連なり、係留された船のマストが幾重にも重なっています。港口にはサン・ジャンとサン・ニコラの二つの要塞が向かい合い、その先は地中海へと続きます。街の真ん中まで海が入り込んでいるような眺めです。

公開 · 読了目安 4分

港口側から見渡したマルセイユの旧港。船の並ぶ水面を市街地が囲んでいます。

この街で食べたいものを挙げれば、ブイヤベースを思い浮かべる人も多いでしょう。旅先では、よく知る名物の名前が注文の手掛かりになります。けれども、その名前を知っていても、何種類の魚が入り、どんな姿で食卓に届くのかまでは分からないものです。マルセイユの料理人たちは、なぜ材料に加え、出し方まで約束したのでしょうか。答えを探す旅は、朝の旧港から始めるのがよさそうです。

朝の魚市場から、鍋の中へ

旧港の奥、フラテルニテ埠頭では、朝になると魚市場が開かれます。夜の漁で揚がった魚を漁師が売り、並ぶ顔触れは季節や天候で変わります。ラスカスと呼ばれるカサゴの仲間、アンコウの仲間、赤い魚、銀色の魚。名前の分からない一尾を眺めているだけでも、海から届くものが一様ではないことに気付きます。

船を背に魚を売る、マルセイユ旧港の魚市場。

船が行き交う旧港の岸辺に、魚を並べた売り台が置かれています。2013年撮影。写真: Philippe Alès(CC BY-SA 3.0)/元ページ

ブイヤベースは、もともと漁師が売り物を選り分ける際に魚の一部を取り置き、自分たちや家族のために作った料理と伝えられています。家庭の鍋から始まった料理は、やがて料理店の食卓で供されるようになりました。今日の作り方では、小さな磯魚でだしを取り、その汁で食べるための魚やジャガイモを煮ます。魚のうまみを溶かした汁と、身を味わう魚。その両方が、一つの料理を作っています。

名物の名前に、中身の約束を

ところが、ブイヤベースの名で、単なる魚のスープを出す店もありました。初めて訪れた客には、それが土地の料理なのか、名前だけを借りたものなのか、判断しにくかったはずです。1980年、マルセイユなどの料理店の人々はブイヤベース憲章を作り、材料や提供の仕方について基準を示しました。名物を注文した客が、どんな料理を期待してよいのかを明らかにしようとしたのです。

魚は、ラスカス、サン・ピエールと呼ばれるマトウダイの仲間、アンコウの仲間、アナゴの仲間など、挙げられた魚の中から少なくとも4種類を使うのが基準です。決まった魚を毎日まったく同じ組み合わせで揃えるのではなく、入荷や客の人数に応じて選ぶ余地があります。市場で日々違う魚が並ぶことを思えば、土地の料理を残すための約束にも、その日の海に合わせられる幅があるのは自然に感じられます。

旧港の市場に並ぶ、ブイヤベース用のさまざまな魚。

旧港で売られるブイヤベース用の魚です。赤や銀色の体、張り出したひれなど、一尾ごとに違う姿が目を引きます。2011年撮影。写真: smallkaa(CC BY 2.0)/元ページ

憲章は、料理を一律の型に収めることはできず、料理人の腕によって出来が決まるという考えから書き起こされています。守る材料を示す一方で、作り手の裁量も認めています。また、署名していなくても伝統に沿って作る店はあります。憲章への参加だけで店の良し悪しがすべて決まるわけではありませんが、客と店が料理の中身について話すための、具体的な手掛かりにはなります。

魚と汁、二つの器が届くとき

出し方にも、その考えが表れています。憲章は、提供方法を店の判断に委ねながら、一般的には魚と汁を二つの器で出すとしています。そして、客の前で魚を切り分けることは、明確に義務としています。別々の器で運ぶことと、目の前で切り分けることでは、規定の強さが違うのです。客は好みに応じ、深皿で魚と汁を合わせても、それぞれに味わってもかまいません。

魚の皿が届いたら、スプーンを取る前に少し眺めてみたくなります。汁だけでは分かりにくい魚の姿が見え、切り分ける手元を追えば、自分がこれから食べる身を確かめられます。こうして食卓に魚を見せることは、注文した料理の中身を客に伝えることにもなるのでしょう。初めて食べる人にも、ブイヤベースを魚の名や姿と結び付けて覚える時間が生まれます。

マルセイユで供されたブイヤベース。魚を盛った皿の隣に汁の鍋、パン、ソースが並んでいます。

魚を盛った深皿の隣に、汁の鍋とパン、ソースが並ぶ食卓です。マルセイユ、2022年撮影。写真: Benoît Prieur(CC0 1.0)/元ページ

添えられるのは、ルイユというソースとクルトンです。ニンニクやサフランを使うルイユをパンにのせ、汁とともに味わうと、魚の身を食べる合間にも楽しみが続きます。魚と汁を自分の皿で合わせながら、好みの食べ方を見つけられます。

旅でこの食卓を楽しむなら、店には前もって予約し、何人分から注文できるか、どの魚を使うか、どのように供するかを尋ねておくとよいでしょう。一般に2人分から出す店が多く、名物の名前だけを告げるよりも、食事の様子を思い描いて席に着けます。

朝の市場で見た魚の姿を、昼の皿に重ねてみます。名前だけを知っていた料理が、魚を選び、煮て、取り分ける人々の仕事とともに、旅の記憶に残りそうです。1980年の約束を知ると、ブイヤベースの食卓には、料理を受け継ぐ人々と、初めて注文する人々の接点が見えてきます。魚と汁を運び、目の前で取り分ける所作には、この街の名物として何を差し出すのか、客に見える形で示そうとする心意気が感じられます。

出典

Chef Authen

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